2012/07/01

泉目吉の幽霊蠟燭

横山泰子「妖怪手品の時代」を読んでいたら江戸時代の人形師、泉目吉に関する記述を見つけたので抜き書き。
泉目吉については過去のエントリー「泉目吉の変死人形」でも取り上げている。

文中に出てくる林屋正蔵(初代)は怪談噺の元祖とも呼ばれた江戸時代の落語家。現在その名跡は林家三平の息子のこぶ平が継いでる。

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 都楽は三笑亭可楽の弟子だったが、同門の林屋正蔵も化物咄を売り物にしていた落語家で、高座で焼酎火をともしたり、化け物の人形を使ったりしたものと思われる。大仕掛けの化物咄を披露するには、適切な上演スペースが不可欠である。そこで正蔵は文化十四年(1817年)に江戸の盛り場両国に寄席を取得し、日本国中からやってくる旅行者たちを怖がらせ驚かせていた。旅行者は常に入れ替わるので、何度も繰り返し仕掛けを見て飽きる客層ではない。この点は化物咄にはもってこいだった。

 正蔵に協力したのは人形師泉目吉である。目吉は幽霊や生首を作るのを得意とし、正蔵のほか、尾上松助とも提携していたらしい。自作の人形を見世物にしたり、浅草仲見世に店を出して「化物蠟燭」を販売していた。天保七年(1836年)刊の為永春水作『春色恵の花』(人情本)では、目吉の店で買った化物蠟燭を使って男性が女性を驚かせる場面がある。

障子にありありとうつる火影ともろともに髪ふる乱せし女の幽霊。お糸は見るよりワツトばかり、一声たてゝ夢中になり、並べてまうけし半次郎が夜着の中へ逃げ込ミければ、半次郎もおそるゝ風情。息をころして二人とも夜着引かぶりてやゝしばらく身をよせあふて伏たりけるが、やゝありて半次郎はお糸にむかひ 半「こわかつたかへ(略)ナニサもう蠟燭へ火が移つたから幽霊はもえてしまつたアナ 糸「幽霊かもえたとはへ 半「アハ…正体を見せやうかへ ソレト障子をあければ手職にともせし蠟燭の傍ハらにある化物ろうそくの袋を取ツて 半「それ御覧じろ 中店で売る泉目吉が新工夫。なんとうまい細工だろう。

障子に映る女の幽霊を見て、お糸は驚き半次郎にすがりつく。しばらく両人身を寄せ合っていたが、やがて半次郎が「正体を見せよう」と、化物蠟燭の袋を見せる。泉目吉の店で販売中の、幽霊を出現させる蠟燭だったのだ。化物蠟燭は、過去の伝授本にも解説されているように難しい仕掛けではないが、事前に準備しなければならない。しかし、店頭販売されていれば、作るのが面倒な人でも大丈夫だ。こうして妖怪手品は商品化し、普及していった。参考図版として、江戸末期の「ゆうれへろうそくの伝」(紙片)を付した(上図)。幽霊蠟燭の材料と一緒に売られたものか、こうした資料は残りにくいので貴重である。

「妖怪手品の時代」横山泰子著 青弓社 2012 より

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泉目吉が販売していたとされる「幽霊蠟燭」がどのようなものであったか。同書に記述があるのでこれも抜き書きしておく。

江戸期に流行した妖怪手品に「幽霊蠟燭」(化物蠟燭)というものがあった。数々の伝授本に種明かしがあるが『座敷芸手妻操(ざしきげいてづまからくり)』(天明頃に刊行か、著者不明)では、「化物蠟燭の手妻」として、

蠟燭のしんを少しとぼし、其とぼし口へ油をつけたる紙そくのしりをさし込て、其の紙そくの前へ、幽霊にても鬼にても、くろい紙にて形をきり、竹にはさみて、蠟燭の蠟へ差込、障子より一尺五寸程間を置て立てをき、其紙そくへ火をともし候へば、其影障子へうつり、化物の様に見へ申候。

と述べている。蠟燭の芯に火をともし、油をつけた紙燭の端を差し込む。次に幽霊や鬼などの型紙を竹に挟み、蠟燭の蠟に差し込んで紙燭に火をつけると、化け物の形の影が障子などに映るという手品である。

「妖怪手品の時代」横山泰子著 青弓社 2012 より

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上図は江戸時代の「化物蠟燭」の広告。(出典:早稲田大学図書館:古典籍総合データベース

<参考>

ofellabuta: 泉目吉の変死人形

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